サラダボウル、という表現に私が出会ったのは学生時代、そうだ ニューヨーク、行こう と思い立って行く前に読んだ1冊、司馬遼太郎『アメリカ素描』においてであった。が、司馬さんによる記述ではない。巻末の解説内でこんな言及がある。多民族国家のアメリカはひとつに溶け合う“人種のるつぼ”ではなく、いろんな野菜が独自の味を保っている“サラダ鉢”だという。司馬さんご自身の表現は和風だ。
「さまざまな人種が、オデンのようにそれぞれ固有の形と味を残したまま一ツ鍋の中に入っている」
同著を読んだのは随分前のことだが、さまざまな言葉がそれぞれ固有の印象を残したまま記憶の引き出し一つに入っていたらしい。ゆえに最近テレビで次のタイトルに接してすぐに想起したのは、司馬遼太郎であった。
東京サラダボウル
https://www.nhk.jp/p/ts/89M6WMXL8K/
NHKで始まった火曜10時からのドラマである。国際捜査の警察官とワケあり通訳人のコンビが、異国で生きる葛藤に出会い、日本社会からこぼれ落ちそうな人生を拾っていく。ウチのベテラン通訳人は、あんな言い回しはおかしい、あのベトナム人役はベトナム人じゃない、などブツブツ言っているが、私たちも身に覚えがありそうな場面もしばしば。多文化が共存するサラダボウル、おでん。勝手に考証しちゃう気分で、楽しく観させていただきます。[こでら]
