私(たち)の偏見:国民性について EXPOから

万博ヤード。吾輩は人間である。偏見しかない。ドイツ人の知り合いはおらず、ドイツへ行ったことも無いが、「ドイツ人って生真面目なんでしょ(日本人みたいに)」という偏見だけを持ってドイツ館ステージへ、吹奏楽ライブを観に行った。

果たして、彼らは生真面目であった。Karidion Brass Quintett という。クインテットだから4人組ネと勘違いしていた私は、まず4人が出てきて演奏を始め、あとからMCで1人加わり、その彼がトランペットを吹き始めても、“基本4+飛び入り1”っていう演出ネ、と間違った解釈で終始楽しんだ。4人組はカルテットだと後で知る。とすればあの始まりは逆に、“1人足りないやん”っていう演出だったのネ。ライブの面白さを再度かみしめる。

息ぴったりの音色、さわやかな真顔、演じられる変顔、合間のミニゲーム、切り替え時の振る舞い、伝統的な半ズボン、疑いようのない連帯感、物語性。そのすべてが生真面目で、素敵な好青年たちであった、私みたいに。厚カマシイ。

偏見は覆らなかった。どころか、実感を伴って一層硬化したおそれもある。陽気な中でも彼らから随所に滲み出る生真面目さが伝播するのを受け、単に演奏が心地良い以上に、共感、親近感が満ち満ちてくるのを覚えた生真面目な観客は、私だけではなかっただろう。

やっぱりドイツ人は生真面目だ。サンプル数は5に過ぎないけれど、いいじゃないか、偏見だもの