これまで人材受入れに携わってきた東南アジアの国々に比べ、地理的にも心理的にも遠かったインド。インドから受け入れてみよう!と鶴の一声が掛かったのが6月始め頃。下調べが思いのほかトントン拍子で進み、まずエンジニア採用の目途が立ち、7月には訪印することとなった。今回主要な訪問先に定めたのは3つ、カルール、カーンプル、ファリダバード、いずれも名さえ知らない地であった。
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まず内定者たちに会いに行った、Karur。インド南部Tamil Nadu州、ヒンディー語は通じない、タミル語と英語。タミル語の「こんにちは」が結構ウケた、気がする。インドは広い。面積は日本の9倍近く、人口は10倍以上。州と言っても国として独立してもおかしくないくらいの土地や人口規模を有している。Karurでは日本人どころか外国人も見かけなかった、とは言え、インド人それぞれが見た目からして多様である。どの国も大なり小なりそうだろうがとりわけ、一括りに定義しにくいのがインドであろう。
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市街地から車で約1時間半、エンジニアのお宅を訪問させていただいた。農業を営むご両親に、長男である本人、妹は大学生。おじやおば、いとこらもお集まりくださった。言葉は直接通じないし、生まれ育った環境は全く違うが、信頼に包まれるようなこの感覚。日本でも、ベトナムや他の国においても、既視感がある。照れくさくて口に出すのもためらわれるが共通して、“愛”ゆえに(淡々とあるいは厳しくも)あたたかい雰囲気が、隠しようの無い質量で漂っている。
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今回、訪印準備に購入した一つ『地球の歩き方 インド』。その冒頭に「人間の森へ」と題された見開きページがある。下に小さく《『地球の歩き方 インド』初版(1981年)「はじめに または おわりに」の言葉より》と注釈されている。訪印前にも後にも別件と照らし合わせても、感じるものがあり、一部抜粋させていただく。
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インドにはこういう喩えがある。
― 深い森を歩く人がいるとしよう。
その人が、木々のざわめきを、小鳥の語らいを心楽しく聞き、
周りの自然に溶けこんだように自由に歩き回れば、
そこで幸福な一日を過ごすだろう。
だがその人が、たとえば毒蛇に出会うことばかりを恐れ、
歩きながらも不安と憎しみの気持をまわりにふりまけば、
それが蛇を刺激して呼び寄せる結果になり、
まさに恐れていたように毒蛇に噛まれることになる ―
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自らに問う。不必要に恐れていやしないか?















