メニューに「ストロング」があれば迷わずそれを選ぶ、濃い苦い珈琲が好きな渋いオレ・・・というのはン十年間凝り固まった思い込みであった、と気づかせてくれたのは最近見つけた珈琲屋さんである。そのおみせはカフェでも喫茶店でもなく「コーヒー焙煎所」と銘打っているのにたがわず、ガラス越しにも香りがただよい、笑顔が標準設定の店主からは珈琲愛があふれ、というかダダ漏れまくっている。
そこで初めて飲んだブレンドが予想外にすっきりクリアな味わい、珈琲の概念が変わる!(カレーでもソンナコト言っていたな)驚きをひた隠して店を出た。豆の種類、精選方法、焙煎度合、おいしい淹れ方etc。店主がくれた資料を読み返し、劇的にクリアに感じた主要因を突き止めた。粉と湯量の絶妙な割合。一般に1:17であるのをその店では1:20、湯量やや多めで淹れている、これだ。
自宅でもその比率で淹れてみると、これまで感じたことのなかったクリアさが再現できた。うまい。そうして珈琲のありのままを味わったうえでなお、深煎りでコク強めがやっぱり好みだとあらためて知ったが、このン十年、必要以上に粉を増量して浪費し続けていたのだという、衝撃。
珈琲をクリアに味わいながら、固定概念のおそろしさを思う。つい先日も同僚と「駅前」で待ち合わせたが、それぞれ認識の違う「駅前」で互いに待ちぼうけしたばかり。一層注意を要するのが、人物像だろう。個人に対する思い込みもそうだが、「最近の若者は」「外国人は」「実習生は」のように主語が大きくなってしまったときにあるあるの、やっかいな先入観、大雑把な単純化。自戒を重々込めて。
マイナスの先入観を与えておいて、ギャップ萌え、ツンデレ、みたいな、逆手に取る作戦もあるかもしれないが。素直がいい。