ベトナム南部解放から50年

大阪でのベトナムフェスティバルは2023年の初開催から今年でまだ3回目。東京では日越外交35周年の2008年から開催されており、国家間の記念行事として始まった一方、大阪では在阪コミュニティ主導、地域振興交流の趣がより強いらしい。15年差と随分後れを取ったようにも感じるが、大阪でのベトナムコミュニティは確かにここ数年、第何次成長期かわからないが拡大めざましい。ベトナム料理屋・食料品店急増は言うまでもなく、リサイクルショップ、不動産屋、衣服店、美容院、ビリヤード店etcとベトナム人脈のみで大概事足りてしまう。一部密かに(でもないか)その恩恵を私も受けているが、Bon Kitchenの緑豆のチェーとかうますぎて、私以外の日本人には知られないことを祈っている。

 


フェスティバルは連休中の開催、大阪城公園から今年は花園中央公園に会場が移された。新緑の山と青空を背景に、日本国旗と、ベトナムの2種類の旗が翻る。4月30日は「南部解放記念日」「統一の日」という重要な祝日、しかも今年は50年の節目。現在の国旗は金星紅旗、赤は革命と犠牲を、星は人民の団結を表す。下半分が青いのは当時の(北)革命政府旗、赤は革命、青は平和、星は人民の団結を表したという。

金星紅旗
(北)革命政府旗

サイゴン「解放」の前後に新聞記者としてそこに居合わせ、ベトナム人の妻と民衆と共に生きた近藤紘一氏が『サイゴンのいちばん長い日』でその旗についてもふれていた。

 

《まぎれもない。北・革命政府側の宣伝の先遣隊だ。赤と青の革命政府旗をフロント・ガラスの前に立て、十人ほどの青年が乗っていた。
(中略)
 「ベトナム共和国」はいま、物理的に姿を消した。新しい主人公は、この青年たち、まだ警戒と、おそらくある種の恐怖に神経をたかぶらせ、獣のように敏しょうに、物音に反応する青年たちだ。
 チュー政権下のサイゴンしか知らない私にとって、この平たいヘルメット姿の新しい主人公は、まったく「異人」だった。自分の方が外国人であることも忘れて、私は慣れ親しんだ住まいに、突然、場違いの連中が押しかけてきたような居心地のわるさを感じた。恐怖でも、むろん見知らぬ連中への敵意でもない。ただこの新しい現実に対して、理屈抜きの違和感を感じた。自分が身を置いている世界が、そしてそのすべての属性が、こうも瞬時に変質し得ることがあるのか―そんな気持ちだった。》

 

いま私はただ、川辺の公園でさわやかな風に吹かれながら、統一やホー・チ・ミンさんをたたえる喜びの歌を聞き、バインミーをほおばり、甘ったるいサトウキビジュースを飲んでいる。ありがたき幸せ。

 

なお余談。直近4月末に石破総理がハノイを訪問している。あくまで好ましい関係だとの前提に立ちつつ愛ゆえに、ウチのベトナムメンバーMは言う。夫人の服がパジャマみたいでイケてない、外交の舞台で違和感ありすぎると。いやいやそんなわけ無いやろぉ・・・ホンマや。

《トー・ラム書記長によるお出迎え》首相官邸ホームページから