ゴスペル・イン・文楽 EXPOから

万博ヤード。先だっての狂言に続き文楽。伝統芸能をまた一つ、万博で初めて観た。

「電脳和風Week」
「ゴスペル・イン・文楽」
「キリストの一生を文楽でお届け」

などと書かれていたので、初体験を前にふくらもうとする体内の期待値を抑えるべくシンシン気鋭の若手的なヤツね(半笑)と斜に構えようとした邪念は、瞬殺された。姿勢、音、声、動き、存在感。ド素人の私にもひしひしと響き感じられる、鍛え抜かれた本物の凄味。

聖母マリア
イエス生誕

文楽とは何か、終演後の余韻に浸りつつ電脳に聞く。起源は浄瑠璃、傀儡、はたまた古代の土偶や人形を用いた信仰・祭祀にまで遡り得るかもしれないが、舞台芸術としては江戸時代に庶民のまち大阪で流行、発展したという。太夫(語り手)・三味線弾き・人形遣いの三者が一体となって物語を表現する。

最後の晩餐
イエス、捕らえられる
ペテロは三度、知らぬふりをした

先ほどの太夫は十一代目・豊竹若太夫。十代目(1888–1967)は、古風で豪快な大音量の語りと全身全霊の迫力で時代物から世話物まで圧倒する「命懸けの浄瑠璃」を体現した。1956年に病で失明後も無本の語りで舞台に立ち続ける。1962年に人間国宝に認定され、晩年まで声と間の緊張で場を制したとされている。その孫が十一代目、襲名は昨年、57年ぶりの大名跡復活らしい。

十字架

最後に太夫自ら、三味線弾き・人形遣いの方々の紹介もされたが覚えそびれた。名を聞き調べるまでもなく、いずれも重鎮に違いない。厳しく重ねられてきたはずの年輪が笑いじわのように温厚で柔和な印象を与える、そんな風格であった。事前の案内で、写真撮影・SNS投稿OKだが動画はNGとお達しあったのはさもありなん、動画に勝手なBGMやキャプションを付けてショートで拡散されたりしたら部外者の私でも、絶対に嫌だ。かく言う私の投稿も写真に勝手なツブヤキを付けているに過ぎず、ソレと同類でないとは言い切れないが。とにかく、感動した!

以上は日本、日本人に関することである。本コラムの趣旨に合わないとも言えそうだがそうでもない。文楽の世界は、若輩の私には一面、外国よりも外国であった。