どう生きるか 所与と選択と

父が車を買い替えるつもりらしい、と数か月前に母から聞いてはいた。何かしらのスポーツタイプに決めたのだという。79歳、もう免許返納していい頃合いでもあるが、まだ通勤で常時運転し続けているんだし、ヘンに散財するでもなし、体力的に問題なく、楽しめるならエエじゃないかとエエ加減に答えておいた(どうせセミオートマとかだろうし)。

メタルペダルに6速シフト、コックピット感!
赤い縫い糸も渋い、バケットシート

ところがこの度帰省してみたら何と、思い切りクラッチを踏み込んでギアチェンジする、6速マニュアル車であった。メタルのペダル、MOMOっぽいステアリング、RECAROっぽいシート、そして何より6速マニュアル、テンション上ガルヤナイカイ。走る、曲がる、止まる、小気味良い加速減速、この味わいはいつぶりだろう。シフトノブにあるリングを指で引き上げてロック解除しないとバックギアに入らない、そんな器械的で洗練された操作性にもくすぐられる。市中では3速、ちょっとフライング気味に4速がせいぜいである。それでも十分、おもしろい。こんな乗用車がまだあったんだ、絶滅危惧種、には違いなかろうが。

コノ車なら喜んで、いつ譲り受けてもいい。しかし免許返納どころか父は、コレのおかげで「老後」をいくらか先延ばし、短縮できちゃうだろう、あるいはゼロにさえ、なり得るかもしれない。

メタリックなボディ、眼光も鋭くてイイ

以上は私の父母、田舎町とはいえ京都市近郊の住宅街、マンション暮らしの一風景である。ここでインド南部の地方都市を引き合いに出すのは唐突なようだが、つい先だって垣間見させていただいた本物の田舎暮らし、ごく自然体な一風景が対照的に思い起こされる。

道に牛、この辺ではあまりない光景らしいが
自然にとけ込む佇まい

同じ地方と言ってもスケールが違う。市街地から車で少し走ると郊外では農業・畜産業が盛んで、農地や丘陵地が雄大に広がっている。ご夫妻自ら開拓されたという地に、アトラクションでもヴィラでもない、森の隠れ家のような邸宅がある。

広がる地平、青い空、鳥たちのLIVE
ココナツ、マンゴーetc
白色七面鳥etc

周囲を朝散歩すると、さまざまな種類の鳥のさえずりが聞こえてくる。リラクゼーションCDではない、LIVEである。そこらにクジャクやらオウムやらがアタリマエのように現れるので、野生デスカとつい興奮気味にクダラナイ問いかけをしてしまう。

湧き水、写真にはうつらない透明度

日本の井戸とはこれもスケールが違うが、掘削されたらしい、見たことのない透明度の水面。そのふちから青いカワセミが飛び立った。こんな光景、テーマパークには再現できるまい。泳いでみるかい⁉と誘われたが神聖な感じでおそれ多くて、遠慮させていただいた。が、採れたての果物は遠慮なくいただいた。チャイのミルクも搾りたてである。牛乳の味など興味ない私でさえわかる、段違いのうまさ。これも遠慮なくおかわりした。生かされている、実感。

新鮮、旬のグァバ丸かじり
チャイ、濃い牛乳のうまみ

インドでは、所与たる重さを感じることが少なくなかった。ゆえに重い選択が課せられているようにも感じた。が、重さよりしたたかさ、力強さを感じることもまた少なくなかった。私自身、どう生きるのか。恥ずかしながら、大抵は所与として、選択を避けてきたきらいがある。解はまだない。所与を受け入れ自ら選択している方々への、尊敬と焦燥は募るばかりである。